24.
風の囁きも無いこの場所に突如として吹いた風に、夕紀ははっと頭を上げた。
風の色は見えないはずなのに、夕紀の目には吹き込んでくる風が、黒い色に染まっているように思えた。
その風は、次々と木々をなぎ倒していた。
エルフはその様子を見ると、唸りながら夕紀を守るように、長い鼻で自分の体の側に寄せた。
「どうして……?」
夕紀は驚きの言葉を零さずにはいられなかった。
それは人の形どころか、生き物の形もしていなかったが、確かに瑞希だった。
その彼が、無遠慮に夕紀の心の中に生える木々を切り倒すなんて。
『今の所、夕紀の精神が崩壊せずに起こせるかどうか、分からない。』
不意に頭の中に前に言われたことがよぎる。
だが、その言葉を反故にするのか、今彼は彼女の心の一部であるはずの木を、なんの躊躇いも無く切り払っている。
その事に違和感を抱いた夕紀は、悲しむどころか、かえって疑問に思って、黒い風が木々を切り倒す様子を注意深く見た。
「あれ……背の低い木だけが、切り倒されている……。」
夕紀は、どうしてもその理由が聞きたくて、彼の名前を、呼んだ。
「瑞希…!」
まるでその言葉に答えるかのように、あたり一面の目的の木を全て切り倒した黒い風は、夕紀の前に凄い勢いで集約されていく。
黒い風に、なぜか射るように光る、金の光、一対を見たような気がして、夕紀は息を呑む。
だが、あまりの勢いに目を瞑った後には、もう見えなかった。
そして黒い風がある中空の一点まで集約したかと思うと、全てが弾けとんだ。
その後に、黒く細長いものが地面に立っているように見え、それが瑞希である事をこの目で見た夕紀は、止めていた息をそっとついた。
「夕紀……大丈夫だったか?」
自分が風だったのに、何故だか風になぶられたかのように乱れた髪と、あるはずも無い風にたなびく長く黒い外衣が、強く印象に残る。
まるで、一羽の黒い鳥のような姿で、彼は立っていた。
そして夕紀が見た中で一番心配している表情を見て、思わず返事が遅れてしまった。
「……だ、大丈夫……。」
風も自分にあたることは無く、木が切られたことに関して、肉体的に感じるような痛み、精神的な痛みは無かったが、それでも思わずエルフの青い毛に縋ってしまった事に、夕紀は気がつかない。
その事に気がついた瑞希が、若干眉をしかめていたことも。
「そうか。なら、まだ時間は有るということだな。」
「時間は…あるって?どういう、こと?」
その言葉と口調に、不穏な空気を感じた夕紀は、心配そうに聞いた。
だが、それ以上に、自分もしっかりしなくてはならないという想いが根底にあった。
瑞希は、苦いものでも一気に食べたかのような表情をしつつも、足元に転がっていた枝を取り上げた。
それは、鋭い刃物でも切れないような鮮やかな切り口で、先ほど切られた枝だった。
自分を警戒しているエルフを不必要に刺激しないように夕紀に近付いた瑞希は、その枝をそっと手渡す。
「詳しい話は後で。夕紀、この木は見たことが有るか?」
そういわれて、初めてじっくりとその枝を見ていた夕紀は、見る見るうちに顔色を変えた。
瑞希が聞いた意味が、ぼんやりとだが分ったのだ。
「え、どうして……こんな木、見たこと無いのに……。」
「エルフがこの木の葉などを食べた所を見たこと有るか?」
その問いに、夕紀は直ぐに首を横に振る。
「エルフが何かを食べている所も見たこと無いよ。私もお腹が空かなかったし、夢の中だから、そういうものだと思っていたんだけど……。 でも、それ以外であるなんて、おかしいよ。エルフが必要でなければ、どうしてあるの?」
緑色の木々は、確かに糧にはならないが、それはこうして外界から隔てられてしまった自分の寂しさを紛らわせるために、自分が防御壁のように作り上げた幻だと、いままで夕紀は思っていた。
けれども、自分の意識以外から持ち込まれたものに、何の意味があるのか。
エルフは唯一つ、名前以外しか持ってこなかった。
そう思っていたのに、何者かが自分の心に不可解なものを忍ばせていた。
「……ごめん。怖がらせてしまって……。」
手に持っていた枝を不意に取りあげた瑞希は、小さな声で言った。
枝を持っていた手が震えていたことに気がついたからだった。
「ううん、知らないよりはマシ。
だって、自分が知らない間に全てが終わってしまうなんて、一番苦しい。」
その言葉に、どんな意味が込められているのか知らなかったが、瑞希はそれ以上聞き出す時間が無いと感じた。
「一番最悪な事態が起こるかもしれないと考えると、今すぐそれを消してしまったほうが良い。」
そう言うと、瑞希は目を細める。
自らの精神の内に流れ込む力を、望みどおりに紡ぐために。
「え、でもさっき木を切ったんじゃ……。」
夢の主だとはいえ、少しぐらいしか本当の姿が見えない夕紀は首をかしげた。
「あれは、ただの目くらましに過ぎない。それがただの木でしかないという。だが、本当の根源は……この下にある根だ。」
淡々と言っているようで、瑞希の言葉には焦りが混じっていた。
今彼らが立っている地面は、即ち夕紀が認識出来ない無意識の領域。
その場所に、この危険な植物を模した何かの根が入り込んでいるとすれば、どう考えても、良いものだとは思えなかった。
感覚を鋭くして、見えないはずの根を見ようとする。
目標を把握しておかなければ、せっかく構築した術が水の泡どころか、別の場所を傷つけかねなかった。
自分の目が金色に光っていることも、入れ墨で書かれた腕の魔方陣が光り輝いていることにも気がつかずに、瑞希はただ地面を見透かすために、神経を尖らせていく。
全てが見えた、と思った瞬間、瑞希は崩れ落ちるように倒れた。
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