
21.
「瑞希様?」
瑞希は自分の名前を呼ばれ、億劫そうに振り返る。
表面上はいつもの無表情に近く、誰も瑞希の不機嫌さには気付くことはなかった。
「ああ、やはり瑞希様ですね。」
楽しげに声をかけてきたのは、艶やかな黒髪に煌びやかなほど美しい緑色の瞳を持つ、美少女。
美姫と言うには、まだ年齢が足りないが、姫と呼んでも差し支えの無いほどの美しさだった。
れっきとした国の王子でありながらも、どこか影を含んでいて、その尊称に違和感の生じる瑞希とは、違って。
瑞希は急いで自分の下に駆けてくる鈴香の勢いに押されて、一歩後ろに下がるが、鈴香はそのことに気が付かない。
自分が愛されていると、信じている、姫君。
すとんとその言葉が落ちてくる。
何処が夕紀と違うのだろう。
そんなほんの少しの興味で、瑞希は鈴香のお茶の誘いを受けたのだった。
この国に有る庭の中で、もっとも美しいと言われている中庭に面した部屋に、瑞希と鈴香とそして茶を給仕する侍女が一人だけ居た。
瑞希は茶を注がれるのをちらりと見ながら、庭を見た。
「本当に、素晴らしいお庭ですわね。」
瑞希の視線の先に気が付いたのか、鈴香は庭の様子を見て、そう言った。
誰もが言う、お決まりの言葉。
何故だかその言葉がおざなりなような気がして、少しだけ苛立たせるようなそんな感触を瑞希は感じた。
無論、その言葉に反しないほど、その中庭は造形美に満ちていた。
庭に張り巡らせるように作られた水路。
幾何学模様の美を極めたかのような、直線と曲線の二つの線で、整然と構成されている。
その水路を渡るための橋も美しい曲線を抱き、そして瑞希たちがいる場所から見ると、まるで遠くのほうの橋は、雲に煙る山のようにも見える。
水路と水路の間に区切られた緑色の区画の中には、庭師たちが丹精込めて作り上げた、人の手が加わった庭木が植わっている。
どの季節も花が咲くように木の種類は様々で、今の季節は赤の朱賛香の花が艶やかに咲き誇っていた。
ありがとうと、茶を注いでくれた侍女にだけ聞こえるほど、小さな声で礼を述べると、一口含む。
その味に、ほんの僅かな既視感を感じながらも、瑞希はその言葉に侍女が顔を赤らめたことなど気が付かずに、もう一度庭を見る。
美しい庭は、その実閉じ込められた庭だった。
一部の庭師たちに管理された庭。
椎樺はその庭師たちの中には入っていない。
当然だろう。
どこまで行っても、虫の姿も見えない、雑草の姿も見えない、管理され過ぎた庭を愛でる趣味は彼女には無かった。
それでも、この庭を手がけたい庭師たちは後が絶えない。
この庭を愛でるようなごく僅かな人間は、地位と富を持った人々で、そんな人々に自分の自慢の技を認めてもらい、領地で専任の庭師として雇ってもらいたいが為だった。
その方が、多くの庭師たちが切磋琢磨する場所よりも、地位も給料も、そして自尊心も満たされるからだった。
「瑞希様は、私がここから去った後、何をしていらっしゃったのですか?」
予測済みの言葉を、綺麗な声で囀るように、鈴香は口にする。
「その後しばらくしてから、学問を学びに学校へと行っていました。」
余所行きの言葉遣いで、さしあたりの無い答えを口にする。
少しでも調べてみれば、何を学んでいたのか分るだろうが。
しかし、鈴香は瑞希が何を学んでいたのか、この場では質問せずに、別の話題へと変えた。
ころころと話題が入れ替わる速度に、苦虫を噛み潰したような気分になりながらも、当たり障りの無い答えだけを口にする。
それをただ嬉しそうに聞く鈴香の様子を見て、思い出すのは、今はいない夕紀の姿。
一つ一つが誰かがくだらないと嗤い飛ばせば、吹き飛ぶような理由のそのどれもを、大切に思っていて動けなくなっているあの子の姿は、滑稽と思う人もいるかもしれない。
それでも、どこかそんな不器用な所が、愛おしいように、瑞希は感じ始めていた。
口を濁すように、もう一度茶を口に含む。
自分自身は感じている気まずさで、味など分らなかったが、目の前の少女を改めて、気が付かれない程度によく見る。
その顔にうっすらと化粧を施しているのは昔と違っていたが、少々芝居がかった身振りも、言葉遣いも、笑みも、昔と変わらない少女。
昔は周りに居た同年齢の子供が彼女以外にはいなかったせいも有り、姉とは違うのだなと、半分納得して接していたが、こうして時間が立ち、どういう性格の人々が居るのかを、多少なりとも知ると、鈴香に対しての違和感が際立った。
立ち振る舞いには隙が無さ過ぎるのに、どうしてその言葉は自分を超えてどこかへと飛んでいってしまっているように感じるのだろうか。
「瑞希様?」
何かを考えている瑞希に、自分の喋りたいことだけをずっと言っていた鈴香は、その様子にようやく気がつき、ただ不思議そうに名前を呼ぶ。
「少し、休ませて貰う。」
本来の言葉遣いが出ている事を自覚しながらも、すっと椅子から立ち上がる。
「失礼いたしました。お疲れになられていらっしゃることを、忘れてしまいまして。お送りいたしますわ。」
やけに高い声が、癇に障る。
「いえ、少し立ち寄りたい所がありますので……。」
いそいそと立ち上がるが、瑞希はそれを制した。
「あの、瑞希様、都合が宜しければ、今度オウル様と会わせていただきたいのです。」
行き成り瑞希が思いもしなかった言葉を口にした鈴香は、まるで祈るように両手を胸の前で組んでいた。
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