20.
「エルフ?」
もう一度、恐る恐る名前を呼ぶ。
すると、エルフは嬉しそうに夕紀のほうに長い鼻を伸ばし、体に巻きつけるように戯れる。
「まま、まま、まま。」
まるで新しい玩具を貰ったかのように、言葉を繰り返す蒼い仔に、思わず夕紀も名前を呼ぶ。
「エルフ、エルフ。」
そしてエルフに近寄って、体を思いっきりぎゅっと抱きしめる。
「すごいすごい、いい子よ、エルフ。」
そういうと、エルフは少し鳴いた後、鸚鵡返しのように言った。
「いいこ?」
新しい言葉を習得する、その現場に立ち会った夕紀は、嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「うん、エルフはいい子よ。」
「いいこ、いいこ。」
しばらく言葉を教えることに夢中になっていた夕紀は、はっと我に返る。
先ほど、エルフの前に居たのは、誰だったのか。
夕紀には一つだけ思い当たりがあった。
エルフが生まれる前に出会った、あの白い人影に雰囲気が酷似していた。
勿論、その時も、今も同一人物だと判別する為の特徴など、白っぽいという他には無かった。
聞いても、答えられないよね、と思いつつも、夕紀はエルフに聞いてみた。
「エルフ、さっきここに居た人は誰?」
エルフは、夕紀の体に巻きつけていた長い鼻を外して、彼女に当たらない程度にゆらゆらと揺らすと、二つの言葉だけ言った。
「まま、ちがう。」
「え?」
その言葉の意味が分らず、夕紀が困惑した表情を浮かべると、エルフは大きな体のわりに、器用に後ろに歩くと、鼻先で夕紀を指し、ままといい、そして首を振って、ちがうと言った。
「どういうこと?」
エルフが一生懸命に夕紀に伝えようとしていることは分るのだが、なにぶん憶えるのが異常に早いとはいえ、簡単な単語しかない語彙では伝えることは叶わなかった。
業を煮やしたのか、エルフはいやいやをするように頭を振って、そして鼻先を夕紀に近づけさせた。
「エルフ……!?」
最後に言葉にならない悲鳴が上がったのは、自分の体から、何かが吸い取られるような感覚を感じたからだった。
膝ががくがくして、がくんと崩れ落ちそうになるとき、ようやく吸い取られる感覚が消えた。
それと同時に、夕紀は地面に倒れてしまった。
「ごめんね、ごめんね!」
倒れてしまった夕紀に、エルフは教えてもいない謝罪の言葉を言いながら、そっとその体に鼻を伸ばす。
「エルフ…?」
蒼の獣の仔が行ったことが良く分らず、目を白黒させながらも近付いてきた長い鼻の先端に手を伸ばす。
触れたその温かさに、安堵する。
「ごめんね、ごめんね!」
「大丈夫だよ、エルフ。」
まだ謝罪の言葉を口にするエルフを安心させる為の言葉と、そして鼻をぎゅっと抱きしめる。
自分が大丈夫だということに、感じてくれれば良いと、その思いが伝われば良いと。
ようやく謝罪の言葉が止み、そしてエルフが落ち着いた所を見計らって、夕紀は聞いた。
「ねえ、何をやったの?」
その言葉に、エルフは何かを思案するかのように、団扇のような大きな耳をぱたぱたと鳥の翼のように動かし、鼻をくねくねと遊ばせていたが、小さな声で言った。
「えっと、えっと、まま……ことばだした。」
しかし、自分の言った言葉が、どうもまだ説明不足のように感じたのか、エルフはさらに言葉を続ける。
「エルフ、まま、もってる、ことば、だした。いろいろ、なまえ。」
夕紀は、一生懸命エルフが出した言葉を繋ぎ合わせて、確認するように問いかけた。
「つまり、エルフは、私が知っている言葉を取り出して、憶えたっていうこと?」
その言葉に同意するかのように、エルフは全身で頷き、鳴いた。
夕紀はその事を聞いて、普通に感心した後、その重大さに驚いた。
「え……ってことは、私が知っている言葉を、今やったことで全部憶えたの?」
知らず知らずのうちに声を抑えて聞いたのがエルフに伝わったのか、さっきまでぱたぱたと動いていた耳がぴたりと止まり、頭を少しだけ下げて、夕紀のほうを見た。
「ちがう、ちがう、ちがう。ままことばいっぱい、おぼえる、ない。」
嫌われたのかと思って、使い慣れない言葉を使ってエルフは説明する。
「すこし、すこし、すこし。おぼえるすこし。おぼえるない、いっぱい。」
そして言葉に詰まったのか、つぶらな瞳を潤ませて、おずおずと鼻先を夕紀に伸ばす。
夕紀もようやく自分が言った言葉が、エルフがどんな風に受け取ったのか気がつき、胸が詰まる思いで、伸ばされた鼻先にゆっくりと触れた。
「ごめん、エルフのこと、嫌いになって無いよ。好きだよ。」
宥めるようにぽんぽんと柔らかく叩く。
夕紀は改めて、思い知ったのだ。
エルフは人の子供ではなく、あくまでもエルフはエルフという、未知なる生き物だということを。
私はエルフを育てているんじゃないよね、エルフが育つのをただ手伝っているだけにしか過ぎないんだよね。
今まで少し勘違いをしていたような気がして、夕紀は恥ずかしくなったが、それ以上にもっとエルフのことが大切になった。
「さあ、子猫の遊ぶ時間。」
夕紀は、思わずその言葉を呟いた。
それは、大桐が叱るのは、もうお終いだという合図のような言葉として、良く口ずさんでいた言葉だった。
そして、遊びの時間が終わる時は、「さあ、鳥が鳴く時間。」だと口ずさんでいた。
私は今どちらの時間なのだろう。
夕紀は、そんな事を思いながら、エルフの肌を撫でていた。
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