
18.
「大丈夫……よね。きっと大丈夫、よね。」
不安になる心を押し殺すように、呪文を唱えるかのように夕紀は、言葉を連ねる。
その言葉自体が、さらに自分の不安を煽っている事に気が付かずに。
「大桐さまが、見守ってくださるよね。」
夕紀はその名前を口にしたとたん、きゅうと胸が、心が締め付けられるような思いをした。
あれほど、自分の無力さを思い知ったのは無かった。
昔から、二人の兄にも、弟にだって才能という点に関しては負けてしまうと、薄々とは思っていたけれども。
大桐というのは、夕紀たち王家の四兄妹の教育係であった老人の名だった。
王家の四兄妹は大桐より身分は高いことになっているのだが、他の人々が敬意と愛情を込めて「大桐さま」と呼んでいるので、自然とさまと付けるようになった。
最初は彼自身その呼ばれ方を止めて欲しいと訴えていたのだが、あまりにも子供達が無邪気に言うので、最後にはとうとう諦めてしまったのだ。
そして、さまを付けるほどに、彼は立派な人だった。
叱る時には、叱るが、子供達が褒めて欲しい時には、ちゃんと褒めてくれ、見えないところでも見て褒める。
話すときには上から言うのではなく、一人の場合には、ちゃんと目を合わせるために、腰を屈めて目線を合わせる。
子供を子ども扱いしない大人だった。
だからこそ、子供達は叱られても、自分が悪いということを理解し、そして彼を慕うのだった。
だが、そんな人にも、老いは着実にやって来る。
彼はこの国の人ではなく、隣国の大国の一地方に生まれた人だった。
彼が王に暇を申したのは、王が出張する前の数日前。
誰もがその言葉に反対したいという思いはあったが、長年一緒に過ごしていたため、彼が頑固になるときがどういう時なのかは、よく知っていた。
彼の生まれ故郷はこの国から遠く、そんな遠くまで旅をした人は、この城の中では王と数人の兵士、そして二人の王子だけだった。
兵士は王についていかねば成らない為に、二人の王子、即ち朝都と真昼が大桐を送ることが決定した。
朝都は二年前まで、武者修行の真似事のように身分を隠しながら放浪の旅をしていたので、その役にはうってつけであったし、真昼も魔法の技術やそれを操る才は、どこの研究機関からも引き抜きが繰るほどに素晴らしいものだったからだ。
夕紀も大桐を送りたかったのだが、二人の兄に止められ、泣く泣く二人の兄が帰ってくるのを指折り数えて待っていた。
だが、帰ってきた二人の兄が携えてきたものは、大桐の遺品だった。
彼の生まれ故郷は治安情勢が不安定なために、兄達は夕紀が同行するのを拒んだのだが、彼らの予想以上に治安が悪化していた。
そして、大桐は二人の王子の奮闘もむなしく、何処からか飛んできた流れ矢に当たって、亡くなってしまった。
彼らは、大桐の一族が葬られている墓を探し当て、そこに遺体を出来うる限り丁重に葬ったのち、彼の遺品の中から、一つだけ持ち帰ったのだった。
それを後から聞かされた夕紀は、いかに自分が無力かと思い知ったのだった。
どうして、一緒に居られなかったのだろうか、死に際をどうして看取ることができなかったのかと、後悔の念だけが思い浮かぶのみで、自分がどうすれば良いのか検討が付かなかった。
そして、そんな風に思っていた夕紀に訪れた事態が、自分を成長させるために必要なのではないかと、彼女が思い込むには十分だった。
本当にそれでいいのか、考えもせずに。
「エルフ?」
夕紀は蒼い獣の仔の姿が見えないことに気がつき、仔の名を呼びながら移動する。
「エルフ…?エルフ!!?」
夕紀が蒼い巨体を木立の中に見つけたとき、エルフの側に白いものがぼんやりと浮かんでいるのが見えて、思わず悲鳴混じりに名を呼んだ。
その白い影のようなものは、彼女の悲鳴を聞いた途端、まるで元が煙だったかのように綺麗に空気に溶けてしまった。
「エルフ、大丈夫!?」
エルフに駆け寄った夕紀は、その次の瞬間自分の耳を疑った。
「まま?」
自分以外の誰かは、エルフ以外にはいなかった。
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