
17.
「今夜は二つの月が良く見えるな……。」
瑞希は歩く足を止め、空を見上げた。
濃紺よりも更に濃い夜空の中天に、二つの月が寄り添うように浮かんでいた。
「空気が澄んでいるのか…。水有り月が纏っている大気が良く見える。」
冷たい冴え冴えとした白い光を放っているのは、水無し月と呼ばれる月で、白く、そしてやや翳る月のあばたが見えた。
その隣にあるのは、水有り月。
青い色の月は、昔から見たことがある者が居ないにも関わらず、水がある月だと伝えられてきた。
そして、近年その月を肉眼ではなく、望遠鏡と言う、遠くのものを近くにあるように見ることが出来る器具が出来てからいうもの、学者達は、あの月はどうやら言い伝えどおりに水があるようだといった。
水有り月が水無し月と違ってぼんやりと霞んで見え、青い色に白いものが混じるのは雲だといわれている。
遥か昔、人々はあの月まで飛んでいったという話も、文献では残っているが、この時代の人にとってはあまりにも突拍子の無い話だった。
だが、瑞希はその話は有る程度は信憑性があると思っていた。
なぜなら、今までそういった未知のことがらを書いてあるものが、本当に事実であったということに、技術発展と共に分り始めていたからだった。
流石に、そうだといっても、文献にかかれている事を全て鵜呑みにすることは、危険だとは思ったが、一部の学者にとっては、文献に書かれていることが全て現実化出来ると考えて、日夜切磋琢磨している連中もいることも確かだった。
そして、そうした連中は大概、新しい技術を喉から手がでるほど欲している軍部の方へと行くのだった。
新しい技術は、応用すれば、新しい武器ともなりえる。
例え使用しなくとも、周りの国への威嚇手段に成りうるというのは、戦争屋の言い分だった。
「……下らないな……。」
瑞希はそこまで思考が行き着くと、頭を振って、その思考を追い出した。
なら、自分は何が出来る。
その自分への質問へ、答える勇気は、持ち合わせていなかったからだ。
そして、今なお戸惑う自分に何か良い助言が貰えないかと、人生で最初の「先生」に助言を貰いに行く途中だった。
夜だとはいえ、二つの月がこうして寄り合うような夜は、とても明るい。
ましてや、それが満月ではないとは言え、半月以上の光を放っている時は特に、明るかった。
年に一回しかない二つの月が満月になる夜は、満月祭という祭りが夜通し行われるのも、昼間のように明るいお陰だった。
そんな明るい夜だからこそ、瑞希は苦も無く広大な城の中にある温室にたどり着いた。
まだ量産をすることの出来ない硝子で一面を覆われた温室は、五年前瑞希が昔の文献を元に建てさせたものだった。
本当は、自分の手でどうにかしようかと考えたが、生憎均一的な硝子を作る技術を持っているわけでもなく、自分の技術を売って得た金と、王子として動かせる範囲の金額の金を得て、彼個人の名義として建てたものだった。
ぎいと、これも一部硝子ばりの扉を開くと、瑞希は目的の人物を探すために足を一歩踏み入れた。
「瑞希様。」
瑞希が相手を見つける前に、相手が瑞希を見つけたらしく、顔を出したとたんに声をかけられた。
「椎樺(しいか)先生。」
その名前の持ち主は、温室に鬱蒼と茂る潅木の木立の間から顔を出し、顔を綻ばせながら瑞希を手招きした。
もうすっかり白くなった髪を纏めた老女は、ぱんぱんと服の汚れを払うが、生憎手も土で汚れているためにさして綺麗になったとはいえなかった。
「お久しぶりです。」
瑞希はそういうと、普段はしない正式な礼をした。
椎樺先生に会うのは久しぶりなので、改めて自分の敬愛している事を示したかったからだ。
「瑞希様、こんなしがいの無いお婆にそのような事をされますと、お婆は困りますよ。先生もお止めになって、ただ椎樺とお呼びに成れば宜しいのです。さあさ、ちゃんとお顔を上げてくださいまし。」
自分の事をお婆と呼ぶ椎樺の言葉に、瑞希はようやく顔を上げた。
「ですが、椎樺先生は椎樺先生です。公の場所以外では、この呼び方は譲りません。」
頑固としていう生徒の姿に、椎樺は困った孫を持ったお婆さんのように微笑を浮かべるだけだった。
幼い頃から頑固者だったが、それは成長しても代わる所が無かったと、椎樺は思った。
それが愛おしいところであり、そして心配な所でもあったが。
そしてしばらくぶりに彼が顔を出した理由は、二つのうちのどちらかだろうと、彼女は検討を付け、問題が無いほうの理由を口に出した。
「月秦華(げっしんか)を見にいらしたのですか?」
そう、今日はちょうど月秦華という、夜の日、しかも二つの月が満月でなければ咲かない華が、一本だけ時間が狂ったのか華が咲く時期が早まったのだ。
無論その事は珍しいことではなく、10本あれば1本か2本は早すぎたり遅すぎたりしているのだ。
満月祭には王族の行事で、身柄をはんば拘束されてしまう瑞希に取っては、そうした日にち外れの月秦華しか見れなかった。
しかし、彼は毎年この時期を楽しみにしていて、満月祭の期間には通っている学校は短期間の休みになって帰ってきて、毎晩こうして月秦華の花が植わる所へ通うのが常だった。
温室を作ったのも、師である椎樺のお礼と共に、繊細な月秦華がちゃんと花をつけられる場所が出来るよう、思ったが為だった。
椎樺も、自分のためだけに作るのならば温室を建てるのを断っていただろうが、瑞希の月秦華への思いを良く知っていたために、一も二もなく同意したのだった。
「ああ、そういえばそのような時期、でしたね。」
瑞希がまるで自分に戸惑うかのような言葉を口に出し、そして少しだけ俯いた。
瑞希自身、今の今まで花の時期が来ている事をついぞ思い出さなかったことに驚いた所為だった。
椎樺は口には出さなかったが、問題がある理由のほうだったと思い、そしてどうしようかと思いながら、口を開いた。
「では、お婆で宜しければ、お話をお聞きしましょうか?」
その言葉に、瑞希は戸惑い気味に頷いた。
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