12
くらりと、まるで眩暈のように頭の一部がどこかへ持っていかれそうになるのを瑞希は感じた。
まだ長い時間居るのは駄目だろうな……。
そう思って、手をじっと見る。
表面上は何も変わっていないように見える。
「…どしたの?」
しばらくエルフと戯れていた夕紀が、瑞希の異変に気が付いたのか、声を掛けた。
「いや、どうやらそろそろ此処から出なくてはいけないらしい。」
なんでも無いことの様に首を振る。
夕紀に不安かどうか聞かれた後、答えることが難しかった瑞希を救ったのは、ただ夕紀の側にいるのに飽きたのか、駄々をこねるように彼女の体に長い鼻を巻きつけたエルフだった。
その後なし崩しのように夕紀はエルフの遊び相手となり、遊び相手どころか、ほぼ敵視されていて、まだそこに居るのは赦してもらっている瑞希はそんな一人と一匹の遊ぶ様子を見つつ、他の場所の様子も見ていた。
どこか違和感のある風景を。
「え…ってことは、朝が来たってこと?」
彼女の中では目が覚めるということは、朝が来たと同じことらしい。
まるで、子供のようだ。
そう思って、瑞希は何故か微笑ましく思って、思わず苦笑した。
「え、えっ?」
行き成り笑った瑞希の意図が掴みきれずに、夕紀は戸惑った顔で瑞希を見た。
「まあ、朝が来たかはまだ分からない、と言うことだ。もともとこの場所では、本当の時間を計るというのは難しそうだ。これから調べていけば、測る方法も見つかるかもしれないが。」
瑞希はそう言い終わると、それを聞いていた夕紀は難しい顔をして言った。
「…うーん、そこらへんはあなたに任せるわ。私はそういう勉強したことないし……。ウチには、王家とは名ばかりで、そういったようなことを教えてくれる学校に行けるほどお金ないし。兄さまたちは、独力で奨学金勝ち取って留学したけれどもね。」
そんなことを言いながら、夕紀の手は自分の方に伸ばされた鼻を無心に撫でている。
緩やかに、青い毛並みを撫でる手は、姫君の手としては違和感の有る、痣と傷が見えた働き者の手だった。
「では、なぜ行かなかったのか?」
瑞希は淡々とした声色で問う。
「行けなかったんじゃなくて、行かなかったって聞くのね?」
おかしそうに夕紀は言う。
笑う顔に、瑞希は目を細めた。
「確かにね、兄さま二人にみっちり勉強を叩き込まれれば、否が応でも奨学金を貰ってただで学校行けるとは、私でも思うよ。でもね、それと自分が行きたいって思うことは、私にとって別だったの。」
まるで誰かに言い聞かせるかのような言葉で、言う。
「城の人たちと一緒に暮らしていけるだけで、なんだか満足しちゃう私が居るの。今の所は、エルフに付きっ切りで迷惑かけちゃってるけど。なんだろ、いい若いもんが!!って、大桐さまに怒られちゃいそうだけど、それでも。」
少し口ごもる。
その言葉の続きを、瑞希は待った。
「居心地良いと、留まりたくなるって気持ちは良くないことなのかな。」
その言葉に、瑞希は目を見開いた。
そして、少しの間が開いた後言った。
「罪悪感が有るのならば……そのうち変わるのかもしれない。」
ただ、それしか言えなかった。
ほんの少しの時間しか関わっていない、しかも自分とは正反対とも言えるような性格の少女が、自分と同じ悩みを抱えているとは思いもしなかった。
だから、何一つとして解決策など提示することは出来なかった。
「では、何か不都合は無いのか?誰かに伝言をすることは無いのか?」
自分の思考を打ち切るかのように、瑞希は聞くべきことを聞いた。
今の今まで、本当は最初に聞くべきことだったのに、聞かずにきてしまったことに気付いて、瑞希はその事を悔やんだ。
ここにいると、本来の自分の調子が狂ってしまうようだった。
「皆には、私は大丈夫だって言っておいて。ただ、いつ「帰れる」かどうかは、私にも分からないけど。」
そして、下を見て少し黙った後に、少し寂しげに言った。
「でも、やっぱり話す相手がいないと寂しいから……、もしあなたが良ければまた、来てくれない?」
「…分かった。」
そんな控えめな申し出に、瑞希は彼らしからぬほぼ即答で肯定してしまった。
いつもならば、言われる前にその言葉を予想して検討するか、少々考えて答えを言う。
だが、その言葉は言われるだろうと思ってはいたが、考えても全く答えが出ずに、保留状態になっていたというのに、本人が本当にそう言ってしまうと、考えもせずに言葉が勝手にするりと出て行ってしまった。
少々口ごもってしまったのは、出て行こうとする言葉を止めようとした彼なりの抵抗であったが、その抵抗も少々の口ごもりという程度にしかならなかった。
少し目が泳ぐのを知ってか知らずか、夕紀は本当に嬉しそうに笑んだ。
「ありがとう。」
その表情を見て、瑞希は僅かに目を細めた。
本当に、愛されている人。
そんな言葉が、ぽんと何処からか出てきた。
一点の曇りも無い、姫君。
生身の人間だから、やはり何処かしらか短所や怒り、悲しみを表す時もあるだろう。
それは、先ほど言った夕紀の言葉から確証できる。
それでも、今の瑞希の目には、夕紀が温かみや優しさで出来ているような人のように見えた。
それが、今の瑞希にはすこしだけ、痛かった。
その暖かい光で、自分の持つ闇が浮き彫りになりそうで、怖かった。
back/TOP/next