
11.
物語の中のお姫様だったならば、王子か高名な魔法使いに助けられて、めでたしめでたし、なんだろうとは、思うけど。
私はどうしたって、瑞希が言う「夕紀の夢の世界」から出ることなんて、出来ない。
それは、エルフとの約束を破ってしまうことに、他ならないから。
瑞希には最初に「戻れない」と一言言ったら、あっさり「そうか」と言われてびっくりした。
その後に、ちゃんと理由を言われて納得した。
「今の所、夕紀の精神が崩壊せずに起こせるかどうか、分からない。」
淡々と言う言葉と漆黒の瞳の澄んだ色は、真っ直ぐな印象を夕紀に与え、瑞希が嘘を言っているとは思えなかった。
こちらが考えてないような、意外な言葉を言うような相手ではあったが。
むしろ、こんな所で嘘を言うような相手じゃないと思い込みたいだけなのかもと、夕紀はそう思った。
自分の夢の中に誰かが土足でずかずかと上がりこんでいると言う図は、誰にとっても嫌な図である事は間違いなかった。
だが、夕紀がそのことについて言う前に、瑞希は深々と頭を下げ、言った。
「すまない。本来ならば、ここに私が入ることが不快になる事は分かってはいたが、前に入ったときに許しを請うべきだった。」
瑞希の事後報告に、夕紀は目を見開き、笑った。
「しょうがないよ。前は前だったし、現実の世界の私って、眠ってばっかりなんでしょ?」
「目覚めていないこと」は夕紀自身がよく分かっていた。
それに、過去に起こったことは変えようが無いのはよく知っている。
出来るのは、過去を思い出したときに自分が感じる思いを変えることだけだと、夕紀はそう思っていた。
その様子を見ていた瑞希は、無表情から比べてみたら困ったような表情をしていたが、その表情を崩すことなく、やや戸惑いの響きを含んだ声で言葉を紡いだ。
「後、これも事後報告なのだが、媒体として夕紀の髪を二三本頂いた。」
夕紀としては、それぐらいどうってことは無かったのだが、何故そんなことを彼が言ったのか、その理由が知りたくて、黙ったまま次の言葉を待った。
二人は泉の縁に隣り合わせに座っていたので、お互いの顔を真っ直ぐに見ることは難しかったが、瑞希が戸惑っているのはなんとなく気が付いた。
初対面だから喋りやすいようにと、向き合った形ではなく隣に座ったのにね、と心の中で呟いた。
「年頃の女性は自分の髪を大切にすると聞いたことがあるので、怒ってはいないかと。」
その言葉を聞いたとたん、今まで彼女なりに控えめな笑いだった夕紀は、今度は素のままで笑ってしまった。
「べ、別にそれぐらいぜんっぜん気にしないよ!一房取られるのは流石の私でも、やだけど。」
その答えに、瑞希はそうかと言った後、黙った。
その沈黙で、夕紀も笑いを引っ込め、瑞希に習うかのように黙った。
そして、気付かれない程度に、ちらりと横に座る瑞希を見た。
思ったより長い前髪で、表情は全く見えない。
奇妙な人だと、夕紀は思った。
言葉遣いは大人のように落ち着いてはいるのだけれども、どこかその口調とは違う自信無い声色の時と、反対にその言葉遣いに合っている彼の確固とした自信がにじみ出ている声色の時がある。
それ以上のことは、まだ知り合ったばかりの夕紀には分からなかったが。
沈黙に耐え切れなかった夕紀は、名前を聞いたときから思っていたことを恐る恐る口に出した。
「ねえ、あなたって……真昼兄さまが言っていた「ミズキ」って人と同じ人?」
兄は学校での土産話で話すだけで、瑞希も名前を文字にして見せたわけでもなかったので、夕紀は確証が持てなかった。
「……どうしてそう思う?」
無表情を一瞬崩して、眉を寄せた表情を見せたのだが、逆に質問として投げ返した。
「多分ね、よっぽど能力が高い人じゃないと、真昼兄さまがこんなこと…えっと、人の夢の中に誰かを入れさせるなんてしないと思うの。それに、そんなこと二回もさせるなんて、よっぽど兄さまに信頼されている人じゃないと無理じゃないかなって。ちょっと軽そうな雰囲気だけど、結構人を見る目は厳しいし。」
そして瑞希にむかって、くすりと笑った。まるで子供が親に隠れて内緒話をする時の様に。
「あのね、だから私その名前覚えてたの。そんな兄さまがね、あなたのことは掛け値無しで褒めてたし、そんなに褒めてるってことは、信頼もしているわけだし。めったにいないんだよ、そういう人。まあ、兄さまは自称他称共に、大嘘つきだから、本当の言葉は分かりにくいんだけど。だから、そういうわけで、条件に叶っているのは、兄さま本人か、もしくは「ミズキ」って人かなって。外見は黒髪に黒い目に白い肌の男の子だって聞いてはいたけど、ほら、夢の中だから、あてにはならないだろうし。どう、当たってる?」
瑞希はその言葉に肯定した後、ぽつりと言葉を零した。
「真昼先輩は…そんなことを言っていたのか……。」
夕紀が言った事は、瑞希にとっては思いも寄らないことだった。
確かに瑞希にとって真昼は、何年間か付き合いはあるが、未だにその本音を読みにくい相手だった。
もちろん、瑞希自身が他人の思っている腹の内側を読むことが不得手な性分なのではあるが。
それでも自分の事を妹といった、彼にとって大切な人の一人にそういった形で話していたのを知って、本当に驚いていた。
「あれ、寝耳に水ってやつだったの?」
夕紀は瑞希のその反応に驚いて、首を少しかしげながら言った。
「うーん、兄さまって色々喋るわりには、肝心なことを話さなかったり話すことを忘れちゃってたりするのよね。しかも、口がよく回るから、めったなことでは忘れちゃってたってことすらも、他人にその事を感づかれることをさせたりしないし。」
「……凄い言われようだな……。」
容赦の無いと言うよりは、身も蓋もないような言い方に、瑞希はやっとその一言だけを言った。
夕紀はその言葉に、不思議そうな顔で首をまたかしげた。
「そう?身内だから少し、辛口になってるだろうけど。それに、あなたも兄さまと同じぐらい良くないと思うよ。何でいつも人を計るようなことを言うの?」
そう言った後、夕紀は瑞希の様子を見て、再び驚いた。
「そうだった、のか?」
そう呟く言葉は、どこかたどたどしく、呆然としたような表情を瑞希はしていた。
思い返してみれば、最初あったときも、今も、二回も彼女の反応を探るような言葉を発していることに気が付いた。
それが普段の自分の行動とはかけ離れていることも。
普段ならば探るようなこともせずに、そのまま深く接しないように放っておくのが、彼の今までやっていたことだった。
孤独になるように、また自ら孤独を好むように、半分意図的にそういったことをずっと行っていた。
それなのに、どうして夕紀に対しては違うのかが、瑞希にはその理由が分からなかった。
一言言葉を発したきり押し黙ったままの瑞希を、不安そうに夕紀は見、そして言った。
「ねえ、どこか不安なの?」
その言葉が、瑞希の心に深く深く、突き刺さった。
「……思っても見なかった。」
そう言うのが、彼にとって精一杯だった。
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