
9.
「い、行き成りそんなことを言われても……。」
戸惑った声で夕紀は、白い人影に問うが、その言葉を聞きもしなかったのか、人影は更に言葉を重ねる。
「選択肢は、二つ。その卵の子を、見殺すか、育てるか。」
そしてすっと夕紀の隣にある物体を指し示した。
その時、夕紀は表面に当てていた手の平を通して、まるで鼓動と打ったかのように、どくんと動くのを感じた。
まるで見殺されることを嫌がるかのように。
夕紀は、物体いや卵と同じ背丈になるように座り込み、そして優しい笑顔で言った。
「さっき、悲しいって言ってたのはキミだったんだね。」
その言葉に答えるかのように、どくんと卵がまた一拍鼓動を打つ。
「ま、お父様も、朝都兄さまも真昼兄さまも、朔夜も、みんな結構しぶといから私が居なくても大丈夫だよね。」
表面をつるりとひと撫ですると、すこし悲しげな表情で言った。
「気に掛かるのもあるけど、私がどうこう言ったってどうにもなるようなことじゃないし。」
そして明るい笑顔になって、楽しげに言った。
「だから、っていうとオカシイけど、寂しいなら一緒にいればきっと寂しくない。寂しかったら、私の名前を呼んで。何が出来るか分からないけれど、一緒に悩んであげるから。」
その様子を見ていた人影は、夕紀が目を放している間に、糸が解けるかのように足からどんどん存在が薄れていく。
「ま、待って!!」
夕紀が後の言葉をどう続けようかと戸惑う間をすり抜けて、人影は言った。
「よろしく、頼む。」
その声を最後に、人影はおろか、夕紀の意識も途切れてしまい、そして次に夕紀が目覚めた時には、回りに僅かに緑があるだけの不思議な空間の中に居た。
「うわ、あっええっ!!?」
側には、あの大きな卵があり、そして今まさに生まれようとしている所だった。
ぴきぴきと滑らかな卵の表面にあっという間にひびが走る。
その様子に、慌てた様子からきりっと挑むような表情に変わった夕紀は、思い切って長い袖をまとめていた紐を解き、そしてその裾を引きちぎった。
丈夫な繊維で作られているが、繕った部分があるので、そこから綺麗にちぎれた袖を手に取り、夕紀ははがれかけている卵の欠片をそっとはがした。
「…わ……蒼い毛……。」
ぬめりとした胎液に濡れた体の一部は紺色の長い毛が生え、そしてそんな色の毛を持つ獣を、夕紀は見たことも聞いたことも無かった。
「頑張れ、頑張れ!!」
そう念じるように呟きながら、卵の子供が一生懸命殻を割るのを手伝い、濡れた毛を手に取った布切れで拭う。
そして、卵の中に居た時には四肢を丸めるように眠っていた仔が、初めて卵の中以外の世界を見ようとした時、夕紀はその仔の姿を知った。
「…蒼い…象。」
夕紀は、その仔と似た姿の獣を一度見たことがあった。
自分の国よりも遥か北に位置する国に居る大きな獣。
殆どが雪に埋もれ、深深と雪が降る針葉樹林の中を闊歩する、長い毛と長い牙と長い鼻を持つ獣。
あの“象”と呼ばれていた獣は深い土の色をしていたが、この仔は毛が乾くと軽やかな蒼色に染まった毛を持っていた。
そして牙は、透き通るような翡翠の色、瞳は濃く空を映しこんだような青色で、長い睫を瞬かせながら、一生懸命立ち上がろうとしていた。
「頑張れ、頑張れ!!」
夕紀はそう言いながら、仔が立ち上がるのを補助する。
けれども、何回か厩に居る馬の仔が生れ落ちるのを何回も見たことがある夕紀は、立ち上がるためには純粋に自分の力でなくてはならないというのをよく知っていたので、ただ手を当てているようなものだった。
その代わり、ごしごしと擦るように仔の体にまとわりつく膜を落としていく。
そして震えながらも、四肢で立ち上がった仔は、甘えるかのように長い鼻を夕紀の手に伸ばし巻きつけた。
夕紀はその温かさをぎゅっと握り締め、目を瞑った。
そこまで思い出した後、不意に夕紀の体を誰かが揺すった。
そして遅れて鳴る涼やかな音。
それはエルフ以外には考えられなかったが。
夕紀は目をぱちりと開けると、目の前には蒼い毛に包まれた長い鼻。
器用に夕紀の服の帯びの一部を、鼻の先の手のような部分で摘んで揺らしていた。
ちりちりと鳴るのは、紐を通した二つの白い欠片が当たって鳴る音だった。
その欠片はエルフが生まれたときの卵の殻で、そしてその殻には何故かエルフと文字が刻んであったため、夕紀は仔にそう名づけたのだった。
エルフと名づけられた仔の、いつの間にか力強くなった鼻に支えられるように夕紀は立ち上がると、エルフの瞳を見て、言った。
「前みたいに追い返しちゃ、いけないよ?」
駄目だと頭ごなしに言うのは、かえって逆効果で、本当に言い聞かせたいのならば、こちらが落ち着いていけないことだとさとす事。
エルフは不承不承なような音を鳴らしたけれども、長い鼻を夕紀の腰に巻きつけただけで、後は動こうともしなかった。
そして黒目ばかりの濡れたような色を持つ瞳は、じっと夢幻で出来た森の向こう側を見つめていた。
夕紀も、見つめる。
そして、その緑色の世界から弾かれたかのように、出てきた黒い影にも似た少年に、声をかけた。
「今度は、大丈夫。」
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