7.
夕紀は泉の縁に腰掛け、足先を少し濡らした。
「うーん、やっぱどっかイマイチ……。」
難しい顔をして、水面を睨む。
煌く水面は綺麗なのだが、どこか現実味が足りない。
その理由を夕紀は分かっていた。
どさっと背中から倒れ、哀れ自分の体重の餌食になった草の青い香りを夕紀は嗅いだ。
「これも……現実感が無いね……。」
そう言って左の二の腕で、目を光から隠し、ゆっくりと瞑った。
寝ることが出来ないのはよく知っていたが。
大きく息を吸い、ゆっくりと吐きながら自分が陥った状況を改めて思い返した。


「よし、今日はここの部屋を掃除しよう!!」
夕紀は箒片手に埃が舞う部屋の入り口の前に立って宣言をした。
聞いているのは誰もいなかったが。
「全く、朔夜。あれほど言ったのに、ぜんっぜん姿現さないんだから。」
朔夜以外の城を頻繁に出入りする子供達にも、お願いの形で言ったのだが、それはそれ、これはこれで、この国の王家の兄弟に習って身内には厳しい夕紀は、姿の見えない朔夜だけを怒っていた。
朔夜にしてみれば、姉のいつも唐突な思いつきに付き合いきれないと悲鳴交じりで言うだろうが。
夕紀が城の掃除を、主に使われていない客間や物置の掃除をしようと思い立ったのは、春に隣の大国の学校に長く留学と、卒業してからもその学校で教授並の扱いで働いていた次男の真昼が帰ってきて、最低一年以上はこの国に居ると分かり、その為昔彼が使っていた部屋を掃除した後だった。
部屋に新鮮な空気を入れ、上から箒を使って埃を丁寧に取り、ついでに石造りの壁の間の埃を取る。
険しい山にぐるりと囲まれたこの国の城は、険しい山の心情がそのまま石にも表れたかのような硬い岩で造られていて、見栄えは悪いが頑丈で、何よりも冬にはよく雪が降るこの地では、一度暖炉に火を入れれば何故か長い間暖かさが保つという不思議な性質を持つ岩でもあった。
そして二つの壁を占領している大きな書棚の中に入っている大量の本を廊下にだし、手伝いをしてくれている子供達に本の虫干しを頼み、寝台の寝具を洗ったばかりのものと取換え、床の敷物も思い切って新しいものに取換え、家具を綺麗に磨き、姉と一緒に大掃除をしていた朔夜も、綺麗になったと思ったとき、突然夕紀が言った。
「やっぱ、お部屋が綺麗になるのって清々しくていいわよね!よっし、この際だから、他の部屋も大掃除しちゃおう!!」
仁王立ちで掃除をするための汚れても良い格好に前掛けに頭巾を頭に被った、姫というには躊躇われる姿の姉が勝手に一人で高らかに宣言しているのを見て、瑞希は溜息交じりで言った。
「僕は、ヤダからね……。」
そしてその日から一日一部屋で掃除し続けた夕紀が、六日目に選んだ部屋に入ったときに事件は起こった。
箒を使ってあらかた埃を掃きだし、そして雑巾で床を拭き始めた途中、夕紀は床に奇妙なくぼ地を見つけた。
「なんだろ……これ。」
穴というよりはくぼみで、まるで岩が粘土になった時に人差し指に力をこめて押し当てたような形をしていた。
しかし、加工がしにくいこの岩に、どうやってこんな器用なくぼみを作ったのか、夕紀は不思議に思った。
もちろん好奇心が人並み以上にある夕紀は、そのくぼみに指を一本置いた。
「あっ!?」
くぼみは何の反応も示さなかったが、代わりに部屋の壁の奥からゴトンと何かが落ちるような音が聞こえ、音が聞こえたあたりの壁が奥のほうに動いた。
最終的には小さな戸一枚分の四角い穴が壁に出来ていた。
「うわ、何コレ?」
そこに駆けつけた夕紀は興味津々の眼差しで、壁の向こうに隠されていた階段の古臭い空気の詰まった闇の先を見ようと目を凝らした。
「階段があるけど、何処に繋がってんだろ?」
一瞬だけ思案した夕紀だったが、上着のポケットに入れていた紙と鉛筆を取り出し、さらさらと文字を綴った。
「これだけアヤシイ通路なんだもの……もしかして閉じ込められるかもしれないから、書いておいたほうが無難かな。」
普通冒険小説ならば、閉じ込められてしまうのがお約束というもので、もしかしたら壁が動くのは一回だけかもしれなかったが、とりあえず経緯を書いた紙を壁の脇に置いた。
そして夕紀は手探りで急な角度の真っ暗な階段を下りていった。


暗い何も見えない階段をそろりそろり下りていくのは、生まれる直前の赤ん坊がお母さんの中から出て行くみたいだと夕紀は思った。
私の場合は、反対みたいだけど。
しかもご希望道理というか、入り口は直ぐに閉まって、指の先も見えない一寸先は闇という寸法。
「でも、明かり持ってくれば良かったかも……。」
暗闇で何も見えないのだが、何回も瞬きをし、そして溜息をついた。
明かりを作る術は知ってはいるが、せいぜい暗いときに部屋の蝋燭を見つけて火をつけるまでの間の短い間ぐらいしか使わず、長時間というのはコツと集中力がいるので、夕紀はまだ習得していなかった。
手持ちの燭台を持ってくることも一応考えたのだが、地下の空気を汚してしまうと危ないかと思い、持ってこなかった。
「やっぱり、何にも見えないとしんどい……。」
溜息をして、いったん階段を下りる足を止め、壁に手を当てつつ座った。
自分の息遣いだけが聞こえる暗闇。
見えないからこそ、何処までも何処までも続いていくように感じた。
「でも真昼兄さまは、この城は直ぐ近くに固い地盤があるから、地下室を作るのは難しいとかって言ってた気が……。」
だがどれほどゆっくり行ったとしても、もう地下一階ぐらいまでは降りてきてるハズだった。
「うーん、どういうことなんだろ?」
夕紀は首を傾げながらも当面の目標をこなすことを再開して、手だけではなく腕全体で壁に寄りかかりながら下に降りていった。


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