再び瑞希の姿が現れたのは、重厚な雰囲気をかもし出す長く広い渡り廊下の真ん中だった。
間が悪い廊下を警戒の為に歩いていた兵士は、瑞希の『影渡り』の術を見るのは初めてなのか、驚いた様子で瑞希を見た。
彼がこの目に見た場所ならば、その場に影が生じれば、一瞬にして移動できる『影渡り』の術。
その術は彼自身が考案構築したもので、そして瑞希自身以外は使えないように構築に仕掛けを施されたものだった。
とは言っても、とても繊細である程度のコツと、術者がある限られた資質を持ってることが必要なので、実際の所習得した瑞希以外には、全く使うことが出来ない術だった。
瑞希は羽をしまうと、空を大きな何かが横切っていく。
ごうんがたがたと鈍い音を立てて、巨大な横にした半楕円形の物体、まるで船のようなものが、城の中庭の一つの上に少しだけ浮いて、ぎこちない動きで前進していた。
周りには技術者や魔術師らがわらわらといて、滑稽なほど不恰好な物体に注視している。
瑞希の頭にその不恰好な物体の名前がようやく思い出された。
「あれが、現在鋭意作成中とやらの飛行船試作機か。」
十年も前に、移動技術の発展のために大輸送を兼ねた「空を飛ぶ船」を作る計画と開発班が、軍の開発機関で発足したというのは聞いたことがある。
そして、聞いたことがある所か、瑞希が学校を卒業した翌日に、軍の開発機関へ入ってくれないかという、軍の副長官がわざわざお願いに来たのだ。
軍の長官も兼ねている姉はそのことに関して指示もしなかったと後から聞いた。
この国の軍の開発機関と言うのは、学問や技術、魔術を学び研鑽している者にとって、この国の中のみならず世界中で一番憬れる職場である事は周知の事で、それほど最高峰の技術と環境が整っていて、それが軍事大国と呼ばれる所以でもあったのだ。
だから、副長官もまさか瑞希が断るとは思いもよらなかったのだろう。
もみ手をしながらも、今は自分の上である王子が自分の部下になるという歪んだ喜びが見え隠れする笑みを、瑞希がきっぱりと断ったことで、がらがらと崩れ落ちたのを瑞希は無表情の下で、滑稽だなと思った。
そしてその軍事技術への能力提供拒否こそ、瑞希が貴族達などから妬まれるもう一つの大きな理由だったのだ。



渡り廊下の先には、巨大な建物とその入り口である巨大な扉があった。
その前で待機、警戒を行っているのは祭祀省では、ある程度の地位にある武装僧官達であり、彼らが崇めている珠獣、クロウが居る『部屋』の門番をしていた。
そして、向こうから歩いてくる瑞希の姿に気が付くと、彼らは恭しく一礼をし、そして慌しく扉を開ける準備をした。
本来なら俗世間や王族すらも一歩引いた所にある祭祀省であるので、国王といえども許可と身分証明をいちいち受けなければならない。
だが、瑞希は別格だった。
オウルが、力を貸す瑞希は、珠獣に次ぐ聖なる資質を持つと、祭祀省の中では思われていて、名乗らずとも彼が来れば確実に扉を開けてくれるのだった。
瑞希が大きな扉をくぐると、僧官達は再び扉を閉め、その「部屋」には瑞希とオウルだけになった。
「部屋」というにはあまりにも大きく、半円形の屋根に壁がある建物は、講堂のようではあったが、その部屋の主と比べてみたならば、やはり「部屋」と称するのが適切だった。
その部屋の主は、去年鍛冶師達がその腕をふるって作り上げた素晴らしい造りの金属の止まり木に止まって、丹念に羽繕いをしていた。
しかし、瑞希が近付いてくると、いったん作業をやめて、少年のほうをみた。
「なに腑抜けた顔をしておる?」
心底面白そうにオウルは言う。
瑞希はその言葉に何故か心を少し逆なでにされたような気分を味わい、間を空けてから憮然とした声色を隠しもせずに言った。
「別に腑抜けた顔なんてしてない。」
しかし、オウルは瑞希の否定の言葉を肯定と受け取ったのか、まだくつくつと笑い続ける。
そしてくるりと梟独特の首の柔らかさで、顔を向こうに向けると、まるで独り言のように言った。
「まあ、あの娘のようにお前にあのようにつっかかるような物言いをした娘は居なかったから、よほど新鮮だったのだろうな。」
無表情で他の人には付き合いづらい人間である瑞希を、いとも簡単におちょくるのは、何年生きてるのかも分からないオウルだからこそだった。
「勝手に人の心情を捏造するな。それと、本題だ。オウルの羽を一つ貰いたい。」
オウルのからかいにも眉一つ動かさずに、瑞希は淡々とここに来た用件を述べる。
「何に用いるのだ?」
体を傾け、瑞希のほうに顔を寄せ、言う。
薄い琥珀の瞳が、人の中に暮らしてもなお色あせない、鋭く抉るような眼差しで、瑞希の瞳を射る。
それでも、伊達にオウルと会話し過ごした時間が短くは無い瑞希は、黙ってその視線を受け取り、そして理由を述べた。
「もう一度あの娘、夕紀の夢の中にもぐりこまないといけない。」
「一度潜るのは成功したのではないか?」
オウルがそういうと、瑞希は首を横に振った。
「成功できたとしても、あの状態では私もあの娘も精神が壊れてしまう可能性が大きい。あの蒼い象がいるとは思いもしなかった。」
いったん言葉を区切った後、オウルの瞬膜が瞬く音が聞こえて、そして真面目な声で言った。
「あの象、確実に我と同類だ。」
それ以上、オウルは何も言わない。
瑞希も、聞かない。
ただ説明の続きを言う。
「今持っている羽一枚では、どうしても力が弱くなるのと、繊細な操作が不可能だ。今のままでは、あの蒼い象に見つかって強制的に弾き飛ばされるか、私の意識すらも破壊されてしまうだろうな。だから、もう一枚の羽とあの娘の髪に残った潜在魔力を用いて、もう一度術式を構築してみようと思う。今回は前よりも早く構築が完了すると思う……。」
「……術式を完成させるのに、一ヶ月も時間が掛かったなど、お前のプライドを汚されたからか?」
含み笑いでオウルは言う。
「…確かに、「影渡り」から派生するだけの術に時間は掛かったのは私の落ち度だが、別にプライドなど汚されてなどいない。ただ自分の技術が未熟なだけであるし、もともと一回の接触で被験者の主体意識と言葉を交わせたこと事態、上々の出来だと私は思う。大体、私は人の心理状況を視るのは上手く出来るほうだと思うが、まさか夢に潜ることになるとは……。」
と、ぶつぶつと言葉を漏らす。
人目がある所では出ることは無いのだが、瑞希には困ったことや少し怒っているような状況になると、果てしない小言をずっと漏らすという厄介な癖があった。
「だが、糸口は見えてきておるのだろう?」
そう言って、オウルは短いくちばしで、自分の翼の内側の飛ぶのに支障のない羽を一本抜き取り、瑞希に渡した。
瑞希はそれを受け取り、少し俯いた顔で言った。
「少し、ほんの少しだけだ。光がちらちらと見えるだけで、あっという間に潰されてしまう可能性もある。」
そして瑞希はまた来ると一言言った後、「部屋」を出ようとした。
その時、瑞希の背にオウルが言葉を投げかけた。
「久しぶりに姉弟があったんだ、ゆっくり話しておけ。」
瑞希が何を、と言うことも出来なかった。
重々しく開く扉は、先ほど瑞希が通った時よりもゆっくりで、何かもったいぶったような印象だった。
その扉の向こうに立っていたのは、多くの鎧を身にまとった男達を引き連れた、流れるような美しい黒髪を纏った女性だった。
最初、部屋の中に居る瑞希に驚いた様子だが、直ぐににっと女性にしては生々しい笑みを赤い口紅を引いた唇で笑った。
「久しぶり、瑞希。」
瑞希は、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
「知っているなら、早く教えろ……。」
その言葉に、オウルはそ知らぬ顔をした。


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