
3
穏やかな日。
城の一角の小部屋で、固い声音の女性の声が文章を紡いでいく。
「この星は昔、『神』と呼ばれるものが、すべてのものを支配しようとした時がありました。しかし、それを赦さなかったのが、今私達が珠獣と呼ぶ聖なる獣達です。『神』と珠獣の死闘は七日七晩続いたとされ、最後には珠獣が勝利したのは、今日私達が生きてることに証明されています。『神』と珠獣が戦った土地は忌み地となり、いま私達が生きてゆける一つの大陸と少数の島々、そして内海と外海の一部に珠獣が、国の守り子となったり、人知れず生きているのだと、伝承は伝えています。伝承が正しい歴史かどうかは分かりませんが。しかし、私達の国には今の所珠獣は居ませんが、隣の大きな国には、確かに珠獣が存在しています。」
かりかりと白墨で黒板に単語や簡単な地図を書いた女性はくるりと回って、自分を見ていたり見ていなかったりする生徒を見た。
硬質な印象の眼鏡をかけ、硬く着込んだ無機質な服を着た女性の視線の先には、前もって家庭教師の仕事を承諾していた朔夜も居たが、いつの間にか集まってきた城で働く人々の子供達も混じって授業を受けていて、さながら私塾のようになっていた。但し年齢は様々で、朔夜より三歳上の子から、時折泣き出して、泣き止むまで授業がストップする赤ん坊まで居た。
珍しく真面目に聞いていた朔夜は、女性の話が終わった時に勢いよく手を上げた。
「美菜先生!!あの、昨日瑞希って真昼兄さまが言ってた人が来てたんですけど、その人ってえっと、珠獣というのに関係あるみたいで、なんか知ってますか?」
王族だからと幼い頃から覚えさせられた丁寧な言葉と、一緒に学んでいたり遊んでいたりする子供達の下町言葉に影響された言葉が、交じり合った妙な言葉遣いに、眉を顰めることも無く美菜は淡々と問いに答えた。
「珠獣は人を助けたといわれますが、現在人と交流を持つ珠獣は存在していません。人が知らない珠獣はもちろん、他国の者が自分の守り子と主張している珠獣も、その国の者が珠獣からにじみ出る魔力とその周りにある豊かな土地を利用しているだけで、珠獣の力を利用したものはつい最近までありませんでした。瑞希という王子が7歳になった頃、自国の珠獣に会うまでは。」
ぱたんと美菜が本を閉じる音が聞こえるほど、子供達がいっぱいの部屋は静まり返っていた。
自分達と年の近い子供が、ずっと続いていた事を壊したのは、殆ど退屈な歴史の授業の中では新鮮に映ったのだ。
「この国の隣の大国の瑞希王子は、自国の珠獣に7の時に始めて対面する儀式の途中に、珠獣から言葉をかけられたのです。」
窓から風が一瞬吹き込んで、子供達が持つ紙をぱらぱらと捲った。
瑞希は慌てふためく、高位の司祭や、従者達を子供らしくない冷ややかな心で見ながらも、目の前の大きな黒い梟を見上げた。
薄い金色の大きな瞳は自分のことをじっと見つめ、漆黒の羽毛に包まれた体が少し震えているのを客観的に見つめた。
たしか、第一声は「おまえ…」だったっけ……。
姉以外には言われたことの無い呼び方だったので、かえって新鮮だった。
そう思うとこつこつと後ろから誰かが歩いてくるのが聞こえ、右手をぎゅっと握られた。
自分より一回り大きく暖かな手は、何回か触れたことは無いけれども、姉の緋奈多であることは触れることも無く分かった。
ただ、この場に居る子供は自分と姉以外には居ないというだけであったのだけれども。
「おまえ、名をなんと言う?」
大きな体なのに、そのくちばしから聞こえる声は子供のように高いのを、瑞希はなにかヘンだなと思いつつ答えた。
「瑞希と、いいます。」
言った後、瑞希は梟が瞬きをしたように感じた。
目の前の梟には目蓋は無かったが。
「そうか、瑞希というのか……。我の名は、オウル。」
初めて、梟の名を聞いた最高司祭はばたんと倒れた。
今の今まで人々は漆黒の大梟様、黒き至高の珠獣などと、言い換えれば勝手に名前をつけていたのだから、本当の名前を珠獣自身が言うなどとは思いもしなかったのだ。
信心深い最高司祭は、そのことについて罪の意識を感じて倒れたのかもしれないと瑞希は思った。
別の理由があるのかもしれないが。
「そうだな、瑞希にだけは、我の力を貸そうか。全てのしがらみを無くすことを可能に出来る力を。」
瑞希はその言葉に首をかしげた。
「それって、自分が自由になる以外には使ってはいけないと言うこと?」
その言葉にオウルは何故か盛大に笑った。
そして笑い終わった後に、柔らかな声音で言った。
「それは、瑞希自身が決めるがいい。そなたは、我のお気に入りだからな。」
その翌日から王室や祭祀省が、そのことについて緘口令を敷いたのにも関わらず、珠獣が言葉を発し、瑞希がその庇護を得たことがあっという間に世間に知れ渡ることになった。
そして、瑞希王子には、大国の王子の肩書きのほかに、珠獣の庇護を得た者の名と、珠獣のお気に入りという別名が囁かれることとなった。
「へえ、そうなんだ……。でも、真昼兄さまは『神に気に入られた』って言ってたけど、神って珠獣と敵対してたのに、何で?」
「確かに、珠獣は神を倒した聖なる獣ではありますが、かといって人々にそれ以上のことをなすことは無く、それを揶揄して神と同じだと言う者も少なくは無いということです。しかし、真昼王子は瑞希王子と少なからずも外交面以上の交流関係があったのですから、それ以外のことを仰っているのかもしれません。」
その言葉尻を消すかのように、小さな古城の鐘が時刻を表す数だけ鳴った。
「それでは今日の授業は終わりです。」
美菜の言葉が終わるやいなや、子供達は朔夜を取り囲むようにして、元気よく外へと飛び出していった。
美菜が歴史の教科書代わりにしている本を持って部屋から出ると、子供達が走り去っていく廊下を眺める一人の青年が居た。
「あ〜あ、あいかわらずもみくちゃにされやがって、朔夜。」
苦笑半分面白半分の口調で言う青年に美菜は声をかけた。
「午前のご公務が終わりましたか、朝都皇太子。」
青年はその声に振り返って、まだ苦笑いを浮かべながら言った。
小国の皇太子である朝都は、明るめのこげ茶色の刈り込んだ髪のきりりとした印象の青年だったが、今の表情は皇太子というよりは、良い兄貴といった所だった。
「ああ、ちょっと骨折りだったがな。」
あの頑固モンの爺さんがとぶつぶつ言うのを美菜はさらりと聞き流し、それではと言って、去ろうとするのを、慌てた様子の朝都が追いかけた。
昼飯一緒に食べないかという言葉が、古びた廊下に取り残される。
この国の皇太子が、国王の秘書との距離を縮めようとして、何度も失敗を繰り返していることは、本人達以外には周知の事柄だった。
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