瑞希はおもむろに目蓋を開いた。
目の前には、白い布が山になっていた。
否、布ではなく掛け布団であり、包まれて眠るのは先ほどまで瑞希に会っていた少女、夕紀の安らかな寝顔だった。
クリーム色がかった淡い茶色の髪は、白いレースが引かれた窓から入る風に、ふわふわと弄ばれている。
象牙色の血色の良いはずの肌は、先ほど見た色よりも若干血の気が引いているように見える。
瞳は少しカールした睫に縁取られた目蓋でしっかりと閉じられているが、確かその下の瞳の色は夕暮れに似たような琥珀色。
そして小ぶりな胸の上には、あの象と同じような鮮やかな蒼い色の石が埋め込まれたペンダントが置いてあった。
そんなことをさっと復習のように思い返すと、眠る少女を挟んだ向こう側で本を閉じる音が聞こえた。
「ああ、帰ってきたのかい?」
そよそよと柔らかい風が吹き込む窓辺に、真っ白い優雅な椅子を置き、優雅に読書をしていた人物は、目を覚ました瑞希を見て柔らかな笑みを零した。
淡い光を、筋が通った鼻に掛かったモノクルが反射する。
「無事夕紀姫と出会えました、真昼先輩。」
瑞希は無表情を変えもせず、簡潔に述べる。
「姫ねえ……くつくつ、僕にとってはとんだじゃじゃ馬姫だけどね。」
ゆっくりとした彼特有の笑いを漏らすのを、瑞希は首を横に振った。
「いえ、私としてはとても興味深い人物でした。夢の中身も……。」
そう言うと、じっと夕紀の顔を眺める。
真昼先輩と呼ばれた青年は、瑞希が自分の方を見ていないことを確認して、少年を改めてみた。
つややかな黒髪は襟足辺りでひょいと跳ねていて、肌の色は抜けるように白い。
瞳は真昼の視覚からは見えないが、黒曜石のような冷たい光を反射する目だということは、よく知っていた。
瑞希が顔を上げた瞬間にその観察は終わったが。
瑞希はゆっくりと立ち上がる。
「真昼先輩、わがままを言ってすみません。本当は正式に尋ねられれば良かったのですが。」
声色は変わらないが、ある程度同じ時間を過ごしていた中の真昼には、彼が本当にすまないと思っていることはよく分かった。
「良いって。学校の先輩後輩の関係で行ったほうが、こちらとしても手間取らないし。大体、僕らが先輩後輩の仲だとは言っても、僕が君の国の学校に留学しただけであって、客観的に見れば、僕は田舎の小国の王子で、君は世界最高峰の技術力と軍事力を持つ大国の王子だ。本来ならば僕らは君に対して丁重なもてなしをしなければならないし、それに君は…。」
「真昼先輩、その事は関係ありません。」
真昼の言葉を切るような瑞希の声は、小さな部屋の暖かな空気と半比例に冷え冷えとしていた。
その態度すらも予期していたのか、真昼は冗談だよと言って、次いで軽い調子で怖い怖いとおどけた調子で言い肩を竦めた。
瑞希は少し俯いた。
前髪がぱらりと解けて、顔の半分を隠してしまい、表情が見えなる。
「すみません……どこか調子が悪いみたいです。」
瑞希が紡ぐ声音はいつもどおり淡々としたものだった。
「じゃあ、早く帰って休みなさい。君なら人目に付かず帰れるだろうし。」
その時、部屋の出口の扉ががたんと勢いよく開いた。
つむじ風のように部屋の中へ飛び込んだのは一人の少年だった。
栗色のはねっかえりの髪が揺れ、つぶらな瞳は駆けていたせいなのか少し熱を帯びて潤んでいた。
「姉さま!!…!!?」
少年は部屋の中に見慣れない人物がいることに驚いて、目を丸くしながら口を噤んだ。
それと同時に彼が両手いっぱい抱えた木の実がコロコロと床へ落ちて転がっていった。
真昼はひょろ長い体を屈め、床を元気いっぱい転がる木の実の一つをひょいと拾い上げると、苦笑しながら少年の腕の中に返し言った。
「朔夜、入る時にはノックでしょうが?とりあえずウチの姫が寝ていらっしゃるんだから。」
「う、うん…。」
朔夜と呼ばれた少年は、兄の言葉に頷きつつも、その後ろでひっそりと佇んでいる見慣れない黒髪の少年にちらちらと目をやった。
しかし視線を送ることは出来ても、声をかけることが出来ずにいると、真昼が代わりに瑞希のことを紹介した。
「僕の後輩の瑞希だよ。彼はとっても優秀な子で、特に精神感応の技術に長けていてね。夕紀の夢の中を探ってくれてたんだ。ずっと眠ってしまった夕紀の、夢の中を……。」
そういうと真昼の視線は、瑞希を越えて向こうのベットに寝ている妹姫の寝顔を見つめた。
「二ヶ月前に、胸の上にある、謎のペンダントに触れてから、夕紀は眠ったままだ。呪いなどがかけられている節は全く無いと、この国の術師達は言ったけれども、原因は不明だということは朔夜も知っているだろう?でも何も飲み食いもしてないのに、夕紀はやつれることも無く倒れた時と同じ姿。部屋の中ばかりに居て肌は白くなったみたいだけどね。今日やっと瑞希がここに来れる都合がついて来てもらったんだよ。」
朔夜は兄の言葉を聞きながらも、まだ不審な表情を浮かべながら、黙って立っている瑞希を見た。
どう見ても自分より少し上、姉の夕紀と同世代かそれよりも少し上にしか見えない瑞希が、国中の術師達がさじを投げた夕紀の眠りの謎を解けるとは思わなかったのだ。
だが、朔夜の疑問のまなざしを完璧に無視するかのように、瑞希は真昼を見て言った。
「後で手紙を『飛ばそう』かと思いましたけど、今ここで可能性が非常に高いことだけを言いましょう。」
「お願いする。」
いつもは軽い言葉で人を煙に巻くのが好きな兄が、真剣な口調で年下の少年に頼むのを聞いて昨夜は驚いた。
「夕紀姫の夢の中には、巨大な蒼い象が居て、彼女はその象を宥める役を担っていた。そしてその蒼い象は、私達が知らない珠獣である可能性が高いです。」
「そんな、まさか…!!この国に珠獣が!?」
兄が驚くことを、朔夜はよく分からなかった。ただ、珠獣と呼ばれる獣が国に一匹存在したりしなかったりすることは知っていたが。
だが真昼が驚いたのとは対照的に、瑞希の態度は落ち着きを払ったものだった。
「けれども、所詮は夢の中の話です。私が騙されてしまっているかもしれません。媒体に使ったこれを分析に掛けてから調査書を提出します。」
これと言った時に懐から大きな黒い羽根を取り出し、真昼に見せた。
「それは『黒の梟』の羽根か?」
真昼のその言葉に瑞希は頷くと、すっと部屋の端、窓から入る光が差し込まない薄暗い場所まで下がった。
瞬間、その姿はふっと掻き消えた。
「えっ!?な、何!?」
朔夜が自分の目の前で起こったことが信じられずに、慌てて首を降った。
が、部屋の中には朔夜と真昼とベットに寝ている夕紀以外の姿は見えず、窓から差し込む光が琥珀色になっているのが見えただけだった。
「誰なの、あの瑞希ってヤツ。」
化け物に化かされたような表情で、ついと兄の服を引っ張った。
その手が震えていることも知らずに。
「朔夜……もう少し他の国のことを知ったほうが良いね。後で家庭教師の美菜に言っておこうか?」
「そんなこといいから真昼兄さま!」
意図もしない方向に兄が持っていこうとするのに、朔夜は焦った顔で叫ぶ。
そんな弟の髪を真昼は大きな手でくしゃりと撫で、そして瑞希が消えた部屋の空白、影をどこか憂いを帯びた瞳で見ながら言った。
「あの子は、珠獣…神に気に入られてしまった子なんだ。」


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